投稿:アスカ

事実と憶測と報道

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今日はちょっとまじめに。

「発表」と「報道」は違います。

例えば、A社が何かを発表したら、それは“事実”であり、マスコミがその事実を伝える場合はA社が発表したという報道です。
ですが、報道されるのは必ずしも発表という事実だけとは限りません。
マスコミ側の憶測や噂を報道することもあるからです。そして、それはA社の発表ではないことに注目してください。


僕のような業界にいると、そのあたりはすごくシビア。
某新聞の記事では、A社の発表であれば、きちんと「~を発表した。」と書かれていますし、逆に新聞者側の観測記事では「~するもよう」「~が明らかになった。」など微妙な言い回しをしています。このあたりは新聞をしっかり読んでいる人は、それが事実なのか、事実の一歩手前の憶測の記事なのか、意識しないでわかるかもしれません。

次の例題を見てください。
第三者に教えるときの言い方です。

1.「『A社が○○する』と発表しました。」
2.「『A社が○○すると発表した。』と新聞に書いてありました。」
3.「『A社が○○するもよう。』と新聞に書いてありました。」

上記の3つの例では、どれもちょっと言い方が違うことはわかると思います。

1は明らかにA社が発表したという事実です。情報源がどこであっても、A社が発表したことには変わりありません。
2も同様に、A社が発表したことは事実だということがわかります。その情報は新聞から得たものだということが明らかになっているので、情報の責任の所存は自分と新聞ということになります。
3はA社が発表したものではなく、新聞の憶測・観測記事だということを伝えていますね。実際はどうかわからないが、新聞側の取材に基づく情報から憶測し、その記事を報じたことがわかります。

では、情報源がはっきりしているのに、その内容が事実でない場合はどうでしょう。

「A社が○○するもよう。」と新聞に書かれており、それをあなたが第三者に教えるとき、
4.「『A社が○○すると発表した。』と新聞に書いてありました。」

と言ったとします。

一見、先ほどの2の文章と同じように思いますが、新聞には憶測の記事が書かれていたのに、あなたが第三者に教えるときにはそれが事実のように言ってしまったことが問題となります。
これは、大問題です。
今後、事実となる可能性はあるけれども、それがまだ事実でない限り、憶測であることをはっきりと名言する必要があります。そうでなければ、第三者にまったくの誤解を与えてしまいます。新聞を読んでいなかった第三者はそれを事実であると誤解し、その情報源はあなたからですが、A社が発表したことになりかねないからです。

今回の例のように、憶測の記事を見てそれを自分の言葉で述べるときは、一層の注意が必要だと思います。人からの噂話なども同様です。
新聞、ニュースのほか、ブログもメディアであると位置づけられた今、このような問題が拡大していくのを防ぐためには、伝える側である本人が「事実と憶測と報道の違い」を自覚することが求められると思います。

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